賃金と物価 — 9 つの白書はどう扱ってきたか

賃金と物価は経済財政白書が近年続けて主題に据えるテーマですが、価格転嫁と賃上げの原資を論じる中小企業白書、食料品や米の価格を検証する食料・農業・農村白書、物価高騰が医療・介護の経営に与える影響を示す厚生労働白書にも記述が広がっています。マクロの分析と企業・産業の現場の分析を並べると、物価と賃金の関係を立体的に理解できます。

賃金と物価は、家計の暮らし向きと企業の収益を同時に左右する経済の基本的な指標です。物価の上昇に賃金の伸びが追いつかなければ実質的な所得は目減りし、逆に賃金と物価がともに緩やかに上がる状態が続けば、長く続いたデフレからの脱却につながると考えられています。令和の白書は、感染症下の落ち込みから輸入物価主導の物価上昇、そして高い水準の賃上げへと続く局面を、年版ごとに追いかけてきました。

このテーマが複数の白書にまたがるのは、物価と賃金の変化が経済のあらゆる主体に及ぶためです。経済財政白書はマクロ経済の観点から物価の基調と賃上げの持続性を検証し、中小企業白書は原材料価格の上昇を販売価格に転嫁できるか、賃上げの原資を確保できるかを企業の立場から分析します。食料・農業・農村白書は資材価格や食料品・米の価格の動きを、厚生労働白書は賃金上昇と物価高騰が医療・介護の現場の経営を圧迫する状況を取り上げています。同じ物価上昇でも、どの主体の側から見るかによって論点が大きく異なる点に、横断して読む意味があります。

最初に読むなら、副題に「動き始めた物価と賃金」を掲げた令和5年版経済財政白書が出発点になります。続いて、デフレに後戻りしない経済構造への移行を検証した令和6年版、賃上げを起点とした成長型経済を主題とした令和7年版へと読み進めると、マクロの議論の流れがつかめます。企業の側から見た価格転嫁と賃上げの課題は、令和7年版・令和8年版の中小企業白書で補うことができ、米をはじめとする食料品の価格の動きは、同じ年版の食料・農業・農村白書で確認できます。

どの白書が扱っているか

特集 章 言及 扱いなし

白書令和2令和3令和4令和5令和6令和7令和8
経済財政白書令和5年版以降は主題言及言及章特集特集特集特集
情報通信白書白書データに記載なし
防衛白書白書データに記載なし
食料・農業・農村白書資材・食料品・米の価格章言及特集章
厚生労働白書現場の経営環境として言及
中小企業白書価格転嫁と賃上げの原資章章章言及章章
男女共同参画白書男女間賃金格差に言及言及
科学技術・イノベーション白書大学等の基盤的経費言及
犯罪白書白書データに記載なし

省庁ごとの切り口

経済財政白書(内閣府)内閣府(経済財政): 物価の基調と賃上げの持続性

経済財政白書は、賃金と物価を最も正面から扱う白書です。令和4年版は物価上昇を原油高騰などによる輸入インフレが主因と分析し、物価上昇に見合う継続的な賃上げの必要性を示しました。令和5年版は副題に「動き始めた物価と賃金」を掲げ、令和6年版はデフレに後戻りしない経済構造への移行を、令和7年版は物価と賃金がともに上昇するノルムの定着に向けた動きを検証しています。令和8年版はデフレ脱却の4指標を点検し、原油価格の上昇が物価や実質賃金に与える影響を分析しました。

中小企業白書(経済産業省)経済産業省(中小企業庁): 価格転嫁と賃上げの原資

中小企業白書は、物価と賃金を企業経営の問題として扱います。令和2年版は付加価値の獲得に向けた適正な価格設定と取引関係の構築を論じ、令和4年版・令和5年版は原材料価格の高騰の下での取引適正化と価格転嫁を取り上げました。令和7年版は約30年ぶりの賃上げ率の一方で大企業との差が拡大し、人手不足対応のため業績改善を伴わない賃上げも増えていると指摘しています。令和8年版は持続的な賃上げの原資の確保を課題とし、「稼ぐ力」の強化を論じています。

食料・農業・農村白書(農林水産省)農林水産省: 資材・食料品の価格と合理的な価格形成

食料・農業・農村白書は、物価を生産者と消費者の双方から見ています。令和5年版は飼料・肥料等の資材価格と食料品価格の上昇が、農業経営と消費者に与えた影響を特集の中で整理しました。令和6年版は生産コストが価格に反映されにくい価格形成の問題を今後の課題に挙げ、令和7年版は合理的な価格の形成のための取組を独立した特集としています。令和8年版は2024年夏以降の米価格高騰の要因と、政府備蓄米の放出などの対応を検証しました。

厚生労働白書(厚生労働省)厚生労働省: 賃金上昇・物価高騰と医療・介護の経営

厚生労働白書の白書データでは、賃金と物価は医療・介護・福祉の現場の経営環境として登場します。令和8年版は、2024年度の赤字割合が病院で58.0%(経常利益ベース)、介護サービス施設・事業所で37.5%、障害福祉サービス等事業所で43.6%に上るとし、賃金上昇や物価高騰が各現場の経営環境を圧迫していると分析しました。他産業との人材獲得競争が激しくなる中で、賃金の動きが担い手の確保と結びつけて論じられている点が特徴です。

男女共同参画白書(内閣府)内閣府(男女共同参画): 男女間の賃金格差

男女共同参画白書では、賃金は水準の上昇よりも男女間の格差という観点から扱われます。令和5年版は冒頭の「刊行に当たって」で、女性就業者数の増加により「M字カーブ」の問題は解消に向かう一方、出産を契機に女性が非正規雇用化する「L字カーブ」の問題や男女間賃金格差はまだ解消されていないとの認識を示しました。経済財政白書も令和4年版で、労働の質の向上に向けた論点として男女間の賃金格差を取り上げています。

科学技術・イノベーション白書(文部科学省)文部科学省: 人件費・物価上昇と研究の基盤

科学技術・イノベーション白書の白書データでは、物価と賃金は研究を支える経費の問題として登場します。令和7年版は、主要国が大学部門の研究開発費を増やす中で日本は横ばいが続くと指摘し、若手研究者・研究支援人材の拡充や人事給与システム改革とあわせて、人件費・物価上昇を踏まえた大学等の基盤的経費の確保と財源の多様化が重要だとしました。物価と賃金の上昇が、研究機関の運営にも及ぶことを示す記述です。

扱いの変遷

  1. 令和2年版感染症の拡大が賃金・物価に与えた影響を経済財政白書が分析しました。中小企業白書は、付加価値の獲得に向けた適正な価格設定と取引関係の構築を第2部で論じています。
  2. 令和3年版経済財政白書は感染症の下での雇用・物価・金融の動きを整理し、デジタル化と温暖化対応を変革の柱としました。白書データの範囲では、賃金と物価を主題とする年版は見られません。
  3. 令和4年版約30年ぶりの物価上昇率を受け、経済財政白書が輸入インフレとデフレ脱却を主要論点とし、継続的な賃上げの必要性を示しました。中小企業白書も原材料価格の高騰と価格転嫁を扱っています。
  4. 令和5年版経済財政白書が副題に「動き始めた物価と賃金」を掲げ、30年ぶりの高い水準の賃上げを受けた局面を分析しました。食料・農業・農村白書は資材価格や食料品価格の上昇の影響を特集で整理しています。
  5. 令和6年版33年ぶりの高水準の賃上げと2%台の物価上昇を受け、経済財政白書がデフレに後戻りしない経済構造への移行を検証しました。食料・農業・農村白書は価格形成の問題を課題に挙げています。
  6. 令和7年版経済財政白書が賃上げを起点とした成長型経済を副題に掲げ、中小企業白書は大企業との賃上げの差の拡大を指摘しました。食料・農業・農村白書は合理的な価格の形成を特集しています。
  7. 令和8年版経済財政白書がデフレ脱却の4指標と原油価格上昇の影響を分析し、中小企業白書は賃上げ原資の確保を課題としました。米価格高騰の検証や、物価高騰が病院経営に与える影響も記述されています。

主な数字

項目数値出典
全国消費者物価の上昇率(2022年5月、令和4年版経済財政白書)前年同月比2.5%令和4年版 経済財政白書
2023年春季労使交渉の賃上げ(令和5年版経済財政白書)30年ぶりの高い水準令和5年版 経済財政白書
2024年春季労使交渉の賃上げ率(令和6年版経済財政白書)33年ぶりの高水準令和6年版 経済財政白書
消費者物価上昇率(2024年、令和6年版経済財政白書)2%台令和6年版 経済財政白書
消費者物価の上昇(2025年、令和7年版経済財政白書)食料品を中心とした上昇3%超令和7年版 経済財政白書
中小企業の労働分配率(令和7年版中小企業白書)8割近く令和7年版 中小企業白書
2024年産米の相対取引価格(玄米60kg当たり、令和7年版食料・農業・農村白書)前年産比59.2%上昇2万4,383円令和7年版 食料・農業・農村白書
病院の赤字割合(2024年度、令和8年版厚生労働白書)経常利益ベース58.0%令和8年版 厚生労働白書

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